付喪神

建物をいかに効率よくつくるか、いつの時代も追い求めてきました。
その結果、あらゆるものが量産化、工業化され、現場ではあらゆるものが効率化のために電動化され、今では現場で手で扱う道具を操る大工さんの姿を見ることがほとんどなくなりました。
現在進行中のプロジェクトでは、大工さんが昔ながらの方法で鑿・金槌・鋸・鉋といった道具を駆使して、原木と向き合います。
先日、道具を見せて頂いたのですが、道具の放つオーラが凄まじく、おそらく名器を見たときに抱くであろう感動がありました。
日本には「物には付喪神が宿る」という信仰がありますが、道具の作り手から使い手まで一貫して意思を受け継ぐことによって、それを見る者には魂が宿っているように感じるのかもしれません。
 
電気がなければ命が吹き込まれない道具に囲まれて生活を送っているうちに忘れかけていた大切な感覚を取り戻しつつ、おそらくこういったものを直接目にできる最後の世代ではないかと危惧するのです。