言葉とは本来、人間がほかのひとと意思疎通を図るために生み出された道具。 ひとりでは生きられない人間が、世代を超え人智を共有するために紡いできた。
ところが、最近再びリモート授業になって、 間に空気の介在しない言葉は相手を思いやることが難しいことに気がついた。 空気がないために文字通り空気を読むことができない。
近頃こうした現象が至る所で見られ、 誰に届くともなく霧散した言葉が溢れている。 日本文化は「間」がないと成立しない。 「間」に意味を投じることで、良くも悪くも言挙げしないことを美徳としてきた。 「間」が無駄だ無駄だと省けば省くほど、詰まるところは「差」しか残らない。
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