部分と全体

最近、用があって出掛けても、まっ先に対面するのが端末となり、ひとに聞きたいことがあっても間に端末が入り、店員と一緒になって解決の糸口を探すシーンによく出くわす。

 

今の時代、断片的な情報ならそこら辺にいくらでも落ちていますが、そもそも事情の全容を入力することなんてできないから、ひとに会っても結局また一から説明することになる。

 

そこへ行くと人間は、良くも悪くも細かいことはすっ飛ばして全体を見通す力がある。他のひとの知見が、こちらの想像を上回ることもしばしばで、この辺りが生き物としての経験のなす業だと思うのです。

 

家づくりに期待されることは、この全体性であることに気付かされることがよくあります。