ひとの居場所

家族の単位が4人であった頃は、様々なものが4の倍数で売られていました。
それが瓦解し、日本から「標準の家族」というものが忘却の彼方へ消え去り、
次第にものやひとが不足するにつれ、量を減らして帳尻を合わせるシュリンクフレーションが起き始めました。

 

家も例外ではなく、価格を合わせるための縮小が至るところで起きています。マンションの間取りなどを見ても、ひと昔前ではありえないような小さな部屋を、部屋数だけは合わせて売るということをよく目にするようになりました。
住まう人間の大きさは変わらないのに、1割高くなったからといって1割家を小さくしていては窮屈になるばかり。。
数合わせのためだけの家であるならば、もはや誰のための家なのかわかりません。

 

小さくても居心地のいい空間というのはあります。
古く茶室や借景は小さな空間に広がりを感じさせてくれる手法です。
大切なのは、家はひとが住まうということ。小さくても住まい手の目線で居場所をつくることが大切なんだと思います。
にしてもスライスチーズが7枚になったのは未だに馴染めません。
素数にして余りをつくらせて次を買わせようとする魂胆なのかどうかは知りませんが。。